「僕のトシマ、私のトシマ」通称「マイ豊島」は「都立豊島高校ウェブ」という名前で2000年6月ごろから制作されました。その主なきっかけは、9月に行われる豊島祭の案内サイト(校内でどんなイベントがいつから行われるかなど)を作ってほしいというパソコン同好会顧問からの声でした。それならついでに豊島高校についての解説ページも作ってしまえとなってこのサイトの原型が完成しました。
豊島祭が終わってから、まあ結構作り込んだしこのまま使い捨てではもったいないということで、豊島高校の解説部分だけを取り出し、掲示板などをとりつけ非公式のウェブサイトを立ち上げました。
開設から数ヶ月後、そこにはたくさんの豊島高校卒業生が集ってくれました。毎日、掲示板には数十件の書き込みがあり、とてもにぎわっていました。インターネットの力を強く感じました。そこで、このような卒業生などをあつめて、ネット上で豊島高校の輪を作れないかと考え、豊島高校関係者専用のコミュニティー「トシマ喫茶」を作りました。トシマ喫茶のメンバーは次第に増えていき、2004年には70名を突破することになります。このころから、豊島高校ウェブは「豊島高校をいろいろな人に知ってもらう」と「豊島高校に関わっていたメンバーをまた一つにまとめる」という今かかげているサイトのコンセプトが固まりました。
ある日突然、ある保護者から連絡がきました。「豊島高校というキーワードをYahooで検索すると貴様のホームページがトップに出てくる。けしからん!なんとかしろ!」というものでした。またその人は某部活の部長の親で「○○(子の名前)が△△△部の部長と紹介されている。名前を出すなんてプライバシーの侵害だ。校長に直訴する!!」といい放たれた。おなじく学校でも、その子供張本人に呼び出され、校舎の隅で「私の名前が云々」と同じことをいわれた。
まずこれ以上騒がれると困るのでサイトを閉鎖した。そのあとそのパソコン同好会の顧問の先生に相談して、なんだかんだやっていろいろな先生を巻き込み、最終的には先生方がその保護者を「どーどー」と沈めてくれたおかげでなんとか鎮火した。
みなさんもおわかりの通り、とんでもない"バカ親子"です。まずYahooの検索にヒットするってのは当たり前なことで、インターネットの大原則に文句があるなら総務省(なの?w)に乗り込むなり、Yahooの事務所に乗り込むなりしてほしい。お門違いもいいところです。
次にプライバシーの侵害という件だが、たしかに了承をとらなかった自分もいけないが、豊島高校というパブリックに知られている団体の、○○○部というこれまたパブリックな団体の長であることがなんのプライバシー、機密情報なのか?他の人にうちの高校の校長の名前を言ったらプライバシー侵害か…。しかも○○○部の定期演奏会のポスターには、その部長の名前がデカデカとのっており、なんとその下には電話番号ものっている。電話番号がのているポスターを街中にはっつけておきながら、名前ごときでプライバシー侵害とはなんとも非常識。さらにその保護者は「そのせいで不審者に襲われたりしたらどうすんの?責任とれないでしょ?」とも言ってきた。当時は自分もバカだったし、あまりの威圧だったのでヘコヘコしてたが、いま思うと完全にあっちの世界に行っている。またこの件でサイトを閉鎖したことから、臨時掲示板にはこの親子を避難する書き込みが大量に寄せられた。そのことについても「なんだあれは、不愉快だ。すべて削除しろ」といわれ「削除はしますが、僕が家にいるときだけです」と説明すると「じゃあ24時間監視しろバカ」とまで言われる始末、、、。
先生も「運が悪かったね」と苦笑い。結局サイトのほうは、そのへんを考慮して高校ではなく「一生徒がやっている非公式サイト」であることを今よりも強くいっていれば問題ない。君のサイトはとても有意義なものだといわれ、サイトを復活させました。そのとき「豊島高校ウェブ」だと公式サイトっぽいので、あくまでミヤハンが勝手気ままにやっているサイトですという意味を込めて「僕のトシマ、私のトシマ」に改名。いまに至ります。
後日談ですが、その保護者の子ども(○○○部 部長)には「あいつ(ミヤハン)は、私を陥れて、この部活をつぶそうとしてあんなことをした」と部活内でうわさ話を流し、僕も退部しようかとずいぶん悩みました。結局、それは仲間はそんなバカな噂を信じなかったのでなんとか乗り越えることができました。この件では、部活の顧問の先生にはものすごい迷惑をかけてしまって、いまでも申し訳なく思っています。
サイトは無事復活することができましたが、そこにはかつての賑わいはありませんでした。それはもちろんそのバカ親子のせいもありますが、僕が被害妄想ぶって、なんだかんだ文句を言っていたのも原因のひとつだと思います。今更ながら自分の無知、無力さに後悔してます。
完全に勢いをなくしたマイ豊島。それでもひたむきに運用していたところ、校内ではまったく宣伝していないのに、現役生がくるようになりました。話を聞いたらYahooやGoogleを使って来たとのこと。現役生は次第に増えていき、僕が卒業後、彼らの存在が主役になることになります。
また高校受験をひかえている中学生も多く訪れてくれるようになりました。「豊島高校に入りたいんだけど学力が不安」とか「豊島高校について教えてほしい」など交流もさかんになりました。
管理人が3年生の頃、進路指導部の先生に「今年の入試ね、面接試験である受験生に志望動機を聞いたら、『マイ豊島というここの先輩が作っているホームページがあって、それを見たり聞いたりして、こんな学校やこんな先輩がいる学校に入りたいと思いました』といった人がいたんだよ」と言われた。もう目の前真っ白。さらに先生によると、一般受験も志望動機は調べられないがマイ豊島をみて入学を決めた人が数十人いるという話を聞いた。もう天にも上る気持ちだった。自分のサイトを見てくれた人が、それがきっかけで自分の後輩、この学校の生徒になったのだ。これ以上うれしいことは何もない。
卒業してもこのサイトはぜったいに続けよう。僕はそのとき心に強く決めた。
早いもので、マイ豊島開設から3年間がたった。このサイトはお話しした通り僕が1年生のとき作ったものだから、僕も豊島高校に3年間いたころになる。つまり卒業というものを迎えた訳だ。もう豊島高校の生徒じゃない。さびしくはなかったけど複雑な気持ちだった。これからこのサイトどうしよう、、、。それが一番の悩みの種だった。そんなことを考えていたからではないが、浪人した。(ほかのところでお話するが、実は現役で大学にいく気はさらさらない) 卒業しても、運命を感じて入って来た豊島高校と、初めてで最後、かつ最高だった部活生活への感謝は残っていた。
2004年4月に適当に3つほど大学をうけてすべて合格した。それを友達にいったら「おまえ、去年うけてても合格しただろう?w」と言われた。言い返せない(笑) 浪人した1年間、はちまきをつけて勉強に精を出していた訳ではぜんぜんなかったが(しろよw)やはり大学生になると落ち着き、マイ豊島の再構成にとりかかる。
もう自分は現役生じゃないし、いまの豊島高校の様子はまったくわからない。じゃあ自分にできることはなにか?とまず考えてみた。その答えは「3年間自分は豊島高校の生徒だった」ということだ。3年間吸いまくった想い出をしぼればいいだけのこと。じじくさいサイトでいいじゃないか。もうじいさんが孫を見守るムードだw ってことで、2004年6月、すべてのページをリニューアルした。まだ「じじくさ」コンテンツは入れていないが、これから増やそうと思う。そんなサイトにまた新しい人々が集ってくれたら僕はとてもうれしい。