赤羽台トンネル


赤羽台トンネルは、赤羽台と赤羽を結ぶトンネルです。トンネルのわきには、人がおりられる階段があります。
このトンネルはできれば非常に便利な物だったのですが、ここには団地がいくつもありました。そこには住人と政府の問題などが長年ありました。詳しくは下に書いてあります。そして結果、トンネルは造られ、大変便利になりました。
 

この下に、車がぶんぶん、、、。
 トンネルの上の広場 
 トンネルの上にこんな広場があるとは信じられないでしょう。化学力ってってスゴイ!!
台中側の入口

 赤羽台側のトンネル入口 
 ここを行くと赤羽台から赤羽へ着きます。トンネル内の道路が下り坂になっているのに気づいたかな?
赤羽駅側の入口

 赤羽駅側のトンネル入口 
 ここを行くと赤羽から赤羽台へ着きます。トンネルのわきに階段があるのがわかるかな?
ここから飛び降りぬように。
台中側にかかる歩道橋から撮ったものです。

 トンネルの上からコンニチハ 
 上でわかるように、赤羽駅側はすぐ一般の道路になりますが、台中側は、だんだん下がっていって、トンネルに入ります。
なんか、少し大げさな・・・。

 トンネル工事の碑 
 トンネルの上の広場には、碑があります。その碑の下の方にはプレートがあり、そこにはこうかかれています 

 三千三百世帯の人々が生活する緑豊かな赤羽台団地に、赤羽地区のまちづくりを促ずための都市計画道路の建設が提議された。
 団地を南北に分断するこの道路は、交通の利便性と引き替えに住環境の悪化と、生活の便益を損なうおそれがあった。このため団地住民は全面地下方式を強く主張し、行政は半地下掘割方式を提示し、両者のあいだに数年に及ぶ相克がつづいた。
 住民は悩み、考え、行動し、深い苦渋をもって行政側の要望を選択した。その後両者は深部に及ぶ円満な合意づくりをめざして、対話と研究に多大の努力をかさねたすえ、今ここに、新しく修景された“赤羽台トンネル”の実現をみた。
この地に住む人々の知恵とたゆみない努力の結晶として生まれたこの周辺環境が真に住民のためのものとして末永く健全に守られ、育成されることを願い、ひたむきに取りくんだ多くの人々の努力の証として、この碑を置く。
平成四年四月 東京都北区赤羽台団地自治会  
〜おまけ画像〜 
 上の文が書いてある石版 



次の「赤羽駅について」へジャンプ!!


 「赤羽の紹介」にもどります